架橋を企画立案、完成まで指揮した人は、惣庄屋(現在の町長にあたる)の布田保之助(ふたやすのすけ:1801~1873)です。
工事に携わったのは、大工や石工のほか、白糸台地や矢部地域の延べ2万7千人が参加し工事が行われ、クレーンや他の機械も無い時代に1年8ヶ月という短い期間で完成しました。
~ むしゃんよか通潤橋 ~
※むしゃんよか:熊本弁でかっこいい、素敵と言う意味
●通潤橋の特徴
通潤橋の形を特徴づけているのは、石垣を支える(基礎部の補強)ために両岸の橋台部につけられている裾広がりの石垣です。この鞘石垣は熊本城の”武者返し”と同様の反りをもつ石垣(鞘石垣)を取入れ高度に再現されています。
熊本城 鞘石垣 | 通潤橋 鞘石垣 |
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現在、白糸台地は米や野菜が一年を通して収穫できる豊かな土地です。 しかし、170年以上前は、30m下の川から水を運んでいたため、農業に大変な苦労がありましたが、布田保之助は、遠く離れた川から白糸台地まで水を流すための橋、通潤橋を架けました。 また、矢部地域の発展のため、通潤橋のほかにもたくさんの道路や用水路、石橋などをつくりました。 村人の生活を思い続ける保之助の心は、やせ地だった白糸台地だけでなく、人々の心も潤しました。それが、心も潤す虹の架け橋 通潤橋です。 通潤橋のすぐ近くには、布田保之助を神様として祀られている布田神社(1938年建立)が在ります。 |
■ 種山石工 ■ 江戸後期の熊本(肥後)種山村(現 八代市東陽町)に、日本国内最高峰の石橋築造技術を有する「種山石工集団」がいました。 通潤橋を架けたのは、その種山石工二代目嘉八の次男の宇市(棟梁)、三男の丈八(後の橋本勘五郎)、四男の甚平です。 |
- 石橋築造最高技術 - 通潤橋は、熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)にあります。 この橋は、1852(嘉永5)年から1854(安政元)年にかけて、矢部郷の惣庄屋・布田保之助の独創的な企画・設計と、種山石工集団のすぐれた技術、それに地元農民の真剣な願いと肥後藩の援助によって完成した通水橋(水路橋)です。 橋の長さ75.6m、幅6.3m、高さ20.2m、アーチ直径28.2mで単アーチ式のめがね橋では日本一の大きさです。その中に3条の連通管(通水量15,000立方メートル/日)が埋設され、橋面は人馬の通行を兼ねた独特な設計になっています。これは、当時の土木技術を駆使して造られた近世石橋の傑作です。 - 国宝指定 - 通潤橋は日本最大級の石造アーチ水路橋で、昭和35年に国の重要文化財に指定され、令和5年9月に国宝に指定されました。完成当時は「吹上台眼鏡橋」と呼ばれていましたが、肥後藩の藩校時習館の教導師であった真野源之助により易経の一節、 澤在山下 其気上通 潤草木百物 (澤は山下に在り 其の気上に通ず 潤いは草木百物に及ぶ) から採択し、「通潤橋」と命名されました。 |
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通水管は3列(1列あたり200個)配置されており、つなぎ目は特殊な漆喰で水が漏れないようにしてあります。 【漆喰】 「通潤橋仕法書」によれば、漆喰には、土(5合)、白灰(2升)、砂(1升8合)、塩(1合)、及び松葉を煮沸した松葉汁(まつばじる)の5種類の材料が用いられています。この漆喰は「八斗漆喰(はっとしっくい)」といわれ、関係者が試行錯誤の末に完成させたとあります。 |
通潤橋は、2023(令和5)年9月25日、国指定重要文化財の「通潤橋」が国宝に指定されました。((文部科学一0七)(号外200号))
「通潤橋」のような土木構造物が国宝に指定されるのは全国初です。 次の7点が評価されました。(熊本県Webサイトより引用)
ポイント1 | 阿蘇南外輪山南側の丘陵に広がる通潤用水の一部で、嘉永7年(1854年)に建設された石造水路橋! | ||
ポイント2 | 四方を谷で隔てられ水源に乏しい白糸台地をうるおすために造られた近世最大級の石造アーチ橋! | ||
ポイント3 | サイホンとアーチを一体化させ、鞘石垣(さやいしがき)や裏築(うらづき)などの技術を駆使して造られた近世石橋の傑作! | ||
ポイント4 | 近世のかんがい施設として他に類のない、新田開発史上傑出した存在、近世水利土木施設の到達形態の一つ! | ||
ポイント5 | 企画から完成まで熊本藩領の手永役人(てながやくにん)と当時最高峰の技術力を誇った石工集団が携わり、主に地域社会が社会資本整備をになった近世後期及び末期の代表的事例! | ||
ポイント6 | 九州における近世後期の石造アーチ橋建設をリードした熊本で試行錯誤の末に生み出された九州石橋文化の象徴! | ||
ポイント7 | 試行錯誤や鞘石垣などの独創的な技術が生み出された過程を物語る「御試吹上樋」や「関係文書」、建設に従事した人びとの名を記す「石碑」、当時の現場監督小屋であった「御小屋」といった関連資料が多数残る! | ||
御小屋:建設時の普請小屋、橋・水路の管理小屋 |
石碑(左:通潤橋、右:大工、石工らの名前を刻む) |
御試吹上樋:実験用に造られた通水管 |
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関係文書 (通潤橋仕法書) |
関係文書 (南手新井手記録) |
※写真はすべて山都町教育委員会提供 |
国宝・重要文化財(建造物) 阿蘇南外輪山南側の丘陵に広がる通潤用水の一部をなし、嘉永7年(1854)に建設された石造水路橋。四方を谷で隔てられ、水源に乏しい白糸台地を潤すため、近世最大級の石造アーチを渓谷に架け渡し、鞘石垣、裏築等の技術を駆使して耐震性を高めた精緻な高石垣と、耐久性に優れた石管からなるサイホンを一体化した、技術的完成度の極めて高い、近世石橋の傑作。この比類ない技術は、地域社会が社会資本整備を牽引する役割を担った江戸後期及び末期において、企画立案から完成に至るまで卓越した事業遂行能力を発揮した熊本藩領の手永役人と当時最高水準の技術力を誇った石工集団が、実験や藩との協議を繰り返す中で創出したものである。通潤橋はこれら営みの優れた所産であり、近世水利土木施設の到達形態の一つを示すと共に、江戸末期に九州で興隆した石橋文化を象徴する土木構造物として、深い文化史的意義が認められる。(文化庁 国指定文化財 データベースより) |
山都町 町木:もみじ(イロハモミジ)、町鳥:オオルリ、町花:カタクリ |
【出典:熊本日日新聞(令和6年1月21日 付 朝刊)】 |
【直売店】:道の駅「通潤橋」 所在地:熊本県上益城郡山都町城平660 電話:0967-72-9900 【直売店】:通潤橋ミエルテラス(旧道の駅通潤橋) 所在地:熊本県上益城郡山都町下市184-1 電話:0967-72-4844 ⇒電話でのご注文は、090-7987-0533下田まで ↓Amazon(アマゾン)で販売しています。 |